人物・体験 — 2ページ目
「人物・体験」の話の一覧です。
- タイプの打ち間違いに、絵の修正の発想を使った秘書だったベティ・ネスミス・グラハムは、タイプライターの小さな誤字でページを打ち直すことに困っていた。絵の間違いを上か…
- 息子のノートの吸い取り紙で、コーヒーをこしたメリタ・ベンツは、コーヒーの粉が残るなどの困りごとに取り組んだ。息子のノートから吸い取り紙を取り、穴の開いた容器に置い…
- 独占の問題を伝えるため、土地のゲームを作ったリジー・マギーは、土地の独占の問題を示すボードゲームを作り、1904年に特許を得た。後の形には、独占して相手を追い出す…
- 小さな安全ピンの権利を、400ドルで売ったウォルター・ハントは1849年、針先が留め具の中に収まる安全ピンを考えた。小さなばねの働きで、閉じた針先を保つ。彼はそ…
- 傘の布を、違う色に交換する発明があった発明家ビューラ・ルイーズ・ヘンリーのアイデアには、色の違う布を付け替えられる傘があった。1924年の発明として記録され…
- いつもなら捨てる濁った液から、強い繊維ができたステファニー・クウォレックが研究した濁った溶液は、普通なら捨てる種類のものだった。機械が詰まると心配されたが、技術者を…
- ベッドがあっても、外で寝る方を選ぶ採集家植物採集家イネス・メヒアは、旅先に室内やベッドがあっても、外で寝ることを好んだと記録される。20世紀初め、単独で移動し…
- シャワーカーテンで、おむつのカバーを試したマリオン・ドノヴァンは、おむつのカバーを考えるため、軽いシャワーカーテンを別の用途に使った。屋根裏で材料を試した末のア…
- 棒高跳びの金メダリストは、組み立て玩具も作ったA・C・ギルバートは1908年の五輪棒高跳びで、エドワード・クックと並んで金メダルを得た。その後、鉄骨構造から着想を得…
- レゴを作った人は、木のアヒルも売っていたレゴ創業者オーレ・キアク・クリスチャンセンは、大工の工房から木製玩具を作る仕事へ進んだ。1935年の製品には、引いて動…
- 乗馬の芸の休み時間に、道化や曲芸を入れたフィリップ・アストリーは、ロンドンで馬に乗る芸を見せていた。1770年には演目の合間を埋めるため、道化や綱渡り、曲芸の…
- 力比べの舞台で、4頭の馬の引く力に抵抗した力自慢のルイ・シールの公演には、両側に2頭ずつの馬を置き、引く力に抵抗する演目があった。1891年のモントリオールの記…
- マイティ・アトムは、八十代になっても公演したマイティ・アトムの名で知られたジョー・グリーンスタインは、八十代まで力自慢の公演を続けた。1977年には84歳で最後の…
- ナイアガラの綱を、足にかごを付けて渡った綱渡り師マリア・スペルテリーニは1876年、ナイアガラ峡谷を渡った。その数日後には、足に桃を入れるかごをくくり付けて、…
- 力自慢の女性は、夫を頭上へ持ち上げたサーカスの力自慢ケイティ・サンドウィナは、夫を片手で頭上へ持ち上げる演目を見せた。1911年の記者の描写にも、夫を持ち…
- 発明した防護フードを持ち、夜中の事故現場へ向かった1916年、クリーブランドのトンネル事故で、ギャレット・モーガンは夜中に呼び出された。弟とパジャマ姿のまま、自作の防護…
- グッドイヤーは、グッドイヤー社を創業していないゴムの研究で知られるチャールズ・グッドイヤー。タイヤ会社の名前と同じなので、創業者だと思いそうになる。でも会社は彼にち…
- 1981年の着想が、1988年の特許になった眼科医パトリシア・バスは、白内障の手術に使うレーザー装置を考えた。着想は1981年。ベルリンでの研究などを経て、198…
- ポケットの菓子で電子レンジを思いついた話は、確かな一次資料がないパーシー・スペンサーの電子レンジの発明は、ポケットの菓子が溶けた話で紹介されがち。でもその逸話を確かめる信頼できる一次…
- 未解読文字を調べるため、紙不足でもメモを増やしたアリス・コーバーは、線文字Bの記号の頻度や並びを調べた。第二次大戦で紙が手に入りにくくなると、端紙をカードにして研究メ…
- 訪ねた人が、犬の首飾りを心配した家英国のバーナーズ卿は、犬に店で買った真珠風の首飾りを付けていた。滞在したパトリック・リー・ファーマーは、客が犬の首飾り…
- 下院に30分だけいた議員の記録ジョン・ミットンは1819年、シュルーズベリー選出の英国議員になった。下院にいた時間は、同年6月の30分と伝えられる。…
- 詩の朗読を、幕の顔の口から聞かせたイーディス・シットウェルの詩とウィリアム・ウォルトンの音楽を組み合わせた《ファサード》。上演では、顔を描いた幕の口に穴…
- 作曲家サティは、同じ色のスーツを7着買ったエリック・サティは1895年、少額の遺産を使って同じ黄褐色のスーツを7着買った。「ベルベットの紳士」と呼ばれる時期の姿…
- 句読点を効果音で読む、ピアニストの芸ヴィクター・ボーグは、音楽と笑いを組み合わせたピアニスト。よく知られた演目では、本の文章を読みながら、ピリオドやコンマ…
- 薬の研究から、染料の紫が見つかったウィリアム・ヘンリー・パーキンは1856年、キニーネを合成する研究をしていた。ところが得られたものから、強い紫色の物質…
- ダンロップのタイヤ作りは、子どもの車輪に向かったジョン・ボイド・ダンロップは1887年、ベルファストで息子の三輪車のために空気入りタイヤを開発した。その後、自転車にも…
- コピーの実験成功には、日付と地名が写った1938年10月22日、チェスター・カールソンとオットー・コルネイは、ニューヨークのアストリアで複写の実験に成功した。…
- 風船ガムを改良した人は、会計係だったウォルター・ディーマーは、菓子会社の会計係だった。余暇にガムを試し、1928年に伸びやすい風船ガムを作る。販売員には、…
- 速く乾くインクは、そのまま万年筆に使えなかった記者のラースロー・ビーローは、新聞の印刷インクが速く乾くことに注目した。でも万年筆へ入れても、粘りが強く先へ流れない。…
- シドニーの道に、Eternityを書き続けた人アーサー・ステイスは、早朝のシドニーの歩道などに、チョークでEternityと書き続けた。1932年に始めた活動は約3…
- ロンドンの風変わりな活動家が残した道具スタンリー・グリーンは、ロンドンの街頭で独自の主張を掲げ、自作の冊子を配った。冊子は84版に達したという。1993年の…
- 空から見た街が、10メートルの絵になった2005年、スティーヴン・ウィルトシャーはヘリコプターで東京を短く見た後、記憶をもとに街を描いた。完成まで7日、絵の長…
- 水中の人の像は、置いた後も姿を変えるジェイソン・デカイレス・テイラーは、グレナダのモリニエ湾などに水中の彫刻を設置してきた。人を型にした像にも、海の生物が…
- ウィラード・ウィガンの彫刻は、目で探すほど小さいイギリスの彫刻家ウィラード・ウィガンは、針の穴やピンの頭に収まる作品を作る。顕微鏡で見るような大きさだ。2010年には…
- 戦傷を負った人へ、画家の技術を届けた第一次世界大戦中、彫刻家アンナ・コールマン・ラッドは、顔に傷を負った兵士のためのマスクを作った。負傷前の写真を参考に形…
- 指が硬すぎた機械に、柔らかな皮を付けた1737年、ヴォーカンソンはフルートを吹く等身大の人形を作った。レパートリーは12曲。ところが機械の指が硬く、楽器をう…
- 大人が持ち上げられない箱の手品ロベール=ウーダンの舞台には、小さな木箱を持ち上げる演目があった。子どもは簡単に持てるのに、次に来た大人は持ち上げられ…
- 1878年の展示は、太陽の熱で冷たさを見せた1878年のパリ万博で、オーギュスタン・ムーショと助手のアベル・ピフルは、太陽熱を使う機関を展示した。成果の一つは、集…
- フーディーニの舞台には、象の消失もあった脱出芸で知られるハリー・フーディーニは、ニューヨークのヒッポドロームで成長した象を消して見せた。これは脱出の演目ではな…
- 皇帝の息子の誕生は、気球からも伝えられたソフィー・ブランシャールは、ナポレオンの息子が生まれた時、パリ上空を気球で飛び、誕生を知らせる紙をまいた。公式の祝祭で…
- 1852年の飛行船は、風に逆らえなかった1852年、アンリ・ジファールは蒸気機関で動く飛行船で、パリから約27キロ飛んだ。曲がったり円を描いたりすることはでき…
- ニューヨークへ向かった飛行は、カナダに着いた1936年、ベリル・マーカムはイギリスから一人で大西洋を西へ飛んだ。目標はニューヨーク。でも燃料タンクの通気口が凍る問…
- 通信を取り戻す道は、ペダルでつないだ第二次世界大戦中、ナンシー・ウェイクのチームは無線機と暗号を失い、ロンドンへ連絡する手段が必要になった。彼女は別の無線…
- 燃料タンクを待てず、瓶で試した飛行機作りリリアン・ブランドは、自作機メイフライのエンジンを早く試したかった。燃料タンクがまだなく、空のウイスキー瓶などで代用し…
- 空を飛ぶ前には、自転車で宙を飛んだエレーヌ・デュトリューは、自転車競技で活躍した後、曲芸も行った。1903年には縦の走路で一回転し、自転車で約15メート…
- 1911年のクインビーは、空と映画で働いたハリエット・クインビーは1911年、アメリカで女性として初めて操縦免許を得た。同じ年には、D・W・グリフィス監督の映画…
- 燃料が切れた飛行でも、着陸はできた1916年、ルース・ローはシカゴからニューヨーク州まで、途中で止まらず飛んだ。翌日、ニューヨーク市へ進む途中、マンハッ…
- スコットの最初の飛行には、意図の曖昧さがあるブランシュ・スコットの練習機には、地上走行中に飛ばないよう、出力を制限する仕掛けがあった。でも制限のずれか突風によって…
- 遺された箱は、1978年まで開けない決まりだった蝶の研究者マーガレット・ファウンテンは、1940年に亡くなった。標本のコレクションと日記は、ノリッジ城博物館へ遺された…
- 昔助けた子どもたちが、テレビの客席で立った1988年、ニコラス・ウィントンの子どもの救出活動がBBC番組で紹介された。その後の放送では、かつて救出された人に立っ…
- 砂地に植えた竹を、長年の植林へつなげたインドのジャダブ・パイェンは、1979年、木のない砂地で死んだヘビを見た。そこで20本の竹を植え、後にも木を植え続けた…
- 島で直した桟橋は、完成の翌日に壊れたトム・ニールは1952年、クック諸島のスワローで暮らし始めた。訪問者の提案で、壊れていた桟橋の再建に取り組む。自伝に基…
- 田部井淳子は、雪崩で救出された後に登頂した1975年5月4日、エベレストで田部井淳子らが雪崩に埋まった。シェルパのガイドたちが掘り出し、犠牲者は出なかった。休養…
- 雲を分類した人に、ゲーテが関心を寄せた英国のルーク・ハワードは、1802年に雲の分類を提案した。積雲、層雲、巻雲などの名前を整理した仕事は、詩人ゲーテの関心…
- ガートルード・ベルの名は、アルプスの山にも付いた中東の旅や考古学で知られるガートルード・ベルは、アルプスにも登った。1901年、ガイドのウルリッヒとハインリヒ・フュー…
- 100粒の数珠で、長い道の歩数を数えた19世紀、ナイン・シンらは英国の測量隊で、チベットへ向かうための訓練を受けた。普通は108粒の数珠を100粒に変え、1…
- 客室乗務員だった人が、Q*bertで記録を作ったドリス・セルフは、客室乗務員の仕事を経て、ゲーム大会でも活躍した。1984年、58歳でQ*bertの大会設定の世界記録…
- 一時間走った後、もっと走れたと振り返った2017年、105歳のロベール・マルシャンは、自転車で一時間に22.547キロを走った。その後の発言では、残り10分の…
- 走るだけでなく、砲丸と円盤にも出場したポーランドのスタニスワフ・コワルスキは、2015年、105歳で陸上大会に出場した。100メートルを走り、砲丸を投げ、円…
- しゃがめなくても、五輪に戻れた1931年、ベティ・ロビンソンは飛行機事故で脚を負傷した。走れるまで回復しても、100メートルのスタート姿勢が取れなか…
- 土の道と手作りの跳躍器具からアリス・コーチマンは、人種差別のため正式な競技施設を使えず、土の道を裸足で走り、自作の器具で跳躍を練習した。1948年…
- 茂みに隠れて、マラソンの出発を待った1966年のボストンマラソン。出場を認められなかったボビー・ギブは、スタート付近の茂みに隠れ、走者の列に加わった。3時…
- 番号を剝がされそうになっても、走った1967年、キャサリン・スウィッツァーは、普段使う「K. V. Switzer」の署名でボストンマラソンに登録した。走…
- 有名じゃないから断られた。その海を渡った1950年、フローレンス・チャドウィックは知名度不足を理由に英仏海峡の水泳大会への参加を断られた。自費で挑戦し、同年8…
- ゴールまで行った。でも記録は「未完走」1992年のバルセロナ五輪で、デレク・レドモンドは400メートルの途中に脚を負傷した。それでも進み、観客席から来た父に…
- 裸足で優勝。次は靴を履いて優勝アベベ・ビキラは、1960年のローマ五輪のマラソンを裸足で走り、金メダルを獲得した。4年後の東京では、今度は靴を履いて…
- 脚の装具を使った少女が、五輪で三つの金ウィルマ・ルドルフは幼いころにポリオにかかり、左脚の力が弱くなった。治療を受け、12歳ごろには装具なしで歩けるように。…
- マラソンの練習に、三つ揃いのスーツランナーのファウジャ・シンは、初めてコーチのもとへ練習に来たとき、三つ揃いのスーツを着ていた。コーチは服装から見直すこ…
- 「テリー・フォックス、カナダ」で届いた手紙1980年、義足でカナダ横断を目指し、がん研究への寄付を募ったテリー・フォックス。病気の再発で挑戦は途中で終わったが、…
- 助演女優賞を受け取ったのは、別の男性1985年のエミー賞で、受賞者のベティ・トーマスより先に舞台へ出たのは、バリー・ブレーメンという男性だった。本人は受賞…
- ニワトリのフンで、ビンゴの番号が決まる米コロラド州フルータには、重い頭部の傷を負いながら約18か月生きたニワトリ、マイクを記念する祭りがある。1999年に始…
- 小さなフォークリフトが、床下の在庫を取りに行く天文学者クリフォード・ストールは、ガラス製のクラインの壺をネット販売している。在庫を置くのは、オークランドの自宅の床下…
- 死亡記事が出たころ、本人はオーストラリアにいた英国の政治家ジョン・ストーンハウスは、1974年11月、マイアミの浜に服を残して姿を消した。溺れたと思われ、新聞には死…
- ベッドを整え、お茶を飲んだゴリラ1918年から1921年、英国の村ユーリーで人と暮らしたゴリラ、ジョン・ダニエル。当時の記録を紹介する記事には、自分の…
- 二匹の野良犬の近況を、新聞が競って報じた1860年代のサンフランシスコで、バマーとラザラスという犬のコンビが人気を集めた。ネズミ捕りの腕と二匹の関係を、複数の…
- 猫の駅長のお給料は、キャットフードだった2007年、和歌山の貴志駅で、猫のたまが駅長に就任した。主な仕事は乗客のお出迎え。年俸の代わりに一年分のキャットフード…
- 宇宙から帰った猫は、あとで名前をもらった1963年10月18日、フランスの実験で猫が宇宙へ送られ、帰還した。飛行前の呼び名はC341。報道で付いたフェリックス…
- 盗まれたワールドカップの杯を、散歩の犬が見つけた1966年、ロンドンで展示中のワールドカップ優勝杯が盗まれた。一週間後、犬のピクルスが飼い主と散歩中、駐車した車のそば…
- デパートで買われたライオンが、ケニアで昔の飼い主と再会した1969年、ロンドンのハロッズで売られていた子ライオンのクリスチャンは、二人の男性に買われた。大きくなり、専門家の助け…
- 線路の信号を動かすヒヒを、鉄道会社が試験した1881年、南アフリカで鉄道員ジェームズ・ワイドはヒヒのジャックを買い、監督のもとで信号操作を教えた。乗客が「ヒヒが信…
- オーストラリアを巡った猫に、飼い主が伝記を書いた猫のトリムは1799年、航海中の船で生まれた。探検家マシュー・フリンダースとともに、1801〜1803年のオーストラリ…
- ごみ箱から紙を出して、拾ったご褒美を狙う犬英国の介助犬エンダルは、買い物や洗濯、カードの出し入れまで飼い主を助けた。一方、飼い主のアレン・パートンによると、ごみ…
- 蒸留所の猫に、約二万九千匹のネズミ捕り記録スコットランドのグレンタレット蒸留所で、猫のタウザーは1963〜1987年にネズミ退治を担った。ギネスが認めた総数は2…
- パラシュートなしで生き残った説明を、捕虜になってからも疑われた1944年3月、英国の航空兵ニコラス・アルケメイドは、炎上する爆撃機からパラシュートなしで脱出した。木と雪が落下を和ら…
- 郵便列車に乗った犬は、名札が増えて上着をもらった十九世紀末、米国の犬オウニーは郵便袋と一緒に列車で移動し、郵便職員たちに親しまれた。行く先の郵便局が首輪に札を付け、ど…
- 半年ぶりに帰った犬が、映画で自分を演じた1923年8月、犬のボビーは飼い主の旅行先、米インディアナ州ではぐれた。1924年2月、遠く離れたオレゴン州の自宅へ戻…
- 飛行機なしで各国を巡る記録は、陸に足を着けて初めて一国グラハム・ヒューズは、各国を公共の陸上・水上交通で巡る旅をした。記録の条件では、その国の領海に入っただけでは訪問に数え…
- 女王の寝室への侵入は実話。でも長い会話は本人が否定した1982年7月9日、マイケル・フェイガンがバッキンガム宮殿の女王の寝室へ侵入した。当初は二人がしばらく会話したとも報じ…
- 服を着たリスに、およそ三万人のファンクラブがあった1940年代の米国で、リスのトミー・タッカーは衣装を着て子どもたちの前へ登場し、戦時公債の催しにも参加した。1944年…
- 移動図書館の車両は、アルファとベトというロバだった1990年代末、コロンビアの教師ルイス・ソリアーノは、七十冊から始まる移動図書館で村々を訪ねた。本を運ぶのはアルファと…
- 地下に大広間を造った公爵は、自分では舞踏会を開かなかった十九世紀の英国で、第五代ポートランド公爵は邸宅の地下に部屋やトンネルを造らせた。大広間は絵画の展示に使われ、時には舞踏…
- 飼い主が働いている間、猫はバスで街を一周していた2009年、英国プリマスの飼い主は、猫のキャスパーがバスに乗っていると知った。運転手たちによると、ほかの客と停留所で待…
- 自分の記念碑ができた時、犬のフィドもその場にいたイタリアのフィドは、戦争で亡くなった飼い主をバス停で待ち続けた犬として知られた。1957年、町は忠実さをたたえる像を制…
- 年金の調査で、昔の戦友たちが本人だと証言した南北戦争に従軍したアルバート・キャッシャーは、退役後も男性として暮らしていた。後年、出生時の性別が知られ、年金を受けて…
- タイタニックの便箋に、沈没の体験を書いた日本人がいた1912年、タイタニックから生還した細野正文は、救助船カルパチアの上で体験を日本語で記した。使ったのは、沈んだ船の名前…
- 犬の無賃乗車問題を、海軍への入隊で解決した南アフリカのサイモンズタウンにいた大型犬ジャスト・ニュイサンスは、水兵について列車に乗っていた。鉄道側が問題にすると、…
- 船の犬には、首輪にバスの乗車券が付いていた第二次大戦中、ノルウェーの船で暮らした犬バムセは、スコットランドでも水兵たちと行動した。船員たちは犬用にバスの乗車券を…
- ワインの地下室を掘り始めた男は、何十年も掘り続けたロンドンのウィリアム・リトルは、自宅の下にワインの地下室を掘り始めた。作業はそこで終わらず、1960年代から2000年…
- 動物を描く画家が、ズボンをはくため警察に許可を求めた19世紀フランスの画家ローザ・ボヌールは、動物を観察するため家畜市場にも通った。そこで作業しやすい服としてズボンを選ん…
- 開かなかった傘と、雪の斜面1942年、ソ連の航空兵イワン・チソフは攻撃された爆撃機から脱出。途中で意識を失い、パラシュートが開かないまま雪の谷の…
- 飛行機から落ちて、駅で救助された1943年、米航空兵アラン・マギーの爆撃機がフランス上空で被弾した。使えないパラシュートを抱えた彼は機外に投げ出され、…
- ペンギンが見つめた相手は、パネルだった2017年、東武動物公園にアニメ「けものフレンズ」のパネルが置かれた。フンボルトペンギンのグレープ君は、その一枚を長時…
- 脱出した先も、動物園を散歩1985年、サンディエゴ動物園のオランウータン、ケン・アレンは繰り返し飼育場を脱出した。外では園内を歩き、ほかの動物を…
- 保護された猫に、百万人超のフォロワー2004年、ボストンの地下鉄駅の外で見つかった猫ソッキントン。飼い主が猫目線の投稿を始めると、大人気になった。2018…
- 軍曹扱いのアヒル、卵で勘違いが発覚ニュージーランドのくじで米海兵隊員の手に渡ったアヒル、サイウォッシュ。1943年には部隊のマスコットになり、軍曹と呼ば…
- 後ろ脚二本で歩くようになった犬米国の犬フェイスは、前脚に障害がある状態で生まれ、後ろ脚二本で歩く姿で知られた。家族が引き取って世話をし、少しずつ移動…
- この猫の足は、一頭のために作られたジャージー島の猫オスカーは、2009年の事故で後ろの両足先を失った。獣医や技術者の協力で専用の義足が作られ、歩く姿が番…
- 昇進していくペンギン。実は代替わりもしているエディンバラ動物園のニルス・オーラヴは、ノルウェー国王親衛隊のマスコット。1972年に始まった名前と階級は、三羽のオウ…
- 猫への手紙が多すぎて、担当者がついた英国軍艦アメジストの猫サイモンは、1949年の揚子江での事件で負傷した後も、船のネズミ退治を続けた。評判が広まると、猫…
- ウォール街の近くに、麦畑を作った1982年、芸術家アグネス・デネスは、マンハッタン南部の埋め立て地に麦をまいた。ウォール街のすぐ近くで、土を運び、畝を…
- ボディービルの出発点は、56歳の水着選び米国のアーネスティン・シェパードは、56歳で姉妹と水着を試したことをきっかけに運動を始めた。そこからボディービルの競技…
- 五分ごとの暮らしを、日記に残した人米国のロバート・シールズは、1972年から1997年まで、五分ごとの生活を細かく日記に記録した。電球の交換のような小さ…
- 古い家具や瓶から、巨大な玉座を作った米国のジェームズ・ハンプトンは、清掃員として働きながら、借りたガレージで宗教的な作品を作った。1950年から14年かけ…
- 褒められた画家の正体は、チンパンジー1964年、スウェーデンの記者が、動物園のチンパンジー、ピーターの絵を四点選んで展示した。作者名は架空のフランス人画家…
- アヒルの水たまりを、消防隊が補充した2018年、ニウエ島にマガモのトレバーが現れた。地表に淡水のない島で、住みかは道端の水たまり。乾き始めると消防隊が水を…
- 冬の湖から切った氷で、夏の飲み物を冷やした米国ミネソタ州のナイフ湖で暮らしたドロシー・モルターは、カヌーで訪れる人たちに自家製ルートビアを振る舞った。電気のない…
- 九歳の小説が、つづりを残して出版された英国のデイジー・アシュフォードは、九歳で上流社会を題材に小説を書いた。大人になってからの1919年に出版され、子どもの…
- 電話交換機を作った人は、葬儀屋でもあった米国のアルモン・ストロージャーは、葬儀業を営んだ後、電話を自動でつなぐ交換機を発明し、1891年に特許を得た。仲間の技…
- 古い道路標識や飲料の箱を、美術に変えたニュージーランド生まれの豪州の芸術家ロザリー・ガスコインは、古い道路標識や飲料の木箱など、見つけた素材を作品に使った。…
- 散歩へ行くと言って、約3500キロ歩いた1955年、67歳のエマ・ゲートウッドは、子どもたちに歩きに行くと伝えて出発した。目的地はアパラチアン・トレイルの終点…
- 薬局に並んだ絵が、画家への入口になった1938年、米国の薬局の窓に飾られた絵を、収集家が見つけた。描いたのは、晩年に本格的に絵を始めたグランマ・モーゼス。店…
- 絵を見る料金は、25セントだった米ルイジアナの画家クレメンタイン・ハンターは、自分の小屋の外に、絵を見るのは25セントという案内を出していた。描いたの…
- 家族の外出は、録画テープの長さに合わせた米国のマリオン・ストークスは、テレビのニュースを何十年も録画していた。六時間ごとにテープを交換するため、家族の外出もそ…
- 引っ越す部屋から、一万五千ページの小説が見つかったシカゴで病院の仕事などをしていたヘンリー・ダーガーは、長年、作品を公表しなかった。1972年に施設へ移る際、部屋に残っ…
- 音の反響を使い、移動を教えてきた米国のダニエル・キッシュは、視覚を使わず、音の反響を利用する移動の専門家。2000年に団体を設立し、視覚障害のある子ど…
- 沈んだ船の中に、60時間生きていた人がいた2013年、ナイジェリア沖で沈んだタグボート。料理人のハリソン・オケネは、船内に残った空気のある場所で約60時間を生き…
- 壁の欠けた場所を、レゴで埋める人がいる芸術家ヤン・フォアマンのDispatchworkは、傷んだ街の壁に色鮮やかなレゴのブロックをはめる作品。地味な欠け目が…
- 荒れた土地に穴を掘り、木を育てた農家ブルキナファソの農家ヤクバ・サワドゴは、ザイという伝統の植え穴を改良して、乾燥で傷んだ土を再生した。穴に堆肥などを入れ…
- 妻が主人、夫が従者を装い、奴隷状態から脱出した1848年、米国のエレンとウィリアム・クラフトは、奴隷状態から北部へ逃れた。エレンが白人の男性地主を、夫がその従者を装…
- 深海の観察を、電話で地上へ伝えた1930年代、ウィリアム・ビービとオーティス・バートンは、バミューダ沖で鋼鉄の球に乗って潜った。球はケーブルで下ろされ…
- 家族の世話をしていた女性が、川で魚を集めたメアリー・キングスリーは、若いころ家族の世話をしながら父の蔵書を読んでいた。両親の死後、1893年に西アフリカへ旅立つ…
- 18世紀のパリで、サイがかつらの流行になったインドサイのクララは1741年にロッテルダムへ到着し、欧州各地で見せ物として巡業した。1749年のパリでは詩や歌の題材…
- 盲導犬と街を渡り、一言の電報を送った1928年、モリス・フランクはスイスで盲導犬バディと歩く訓練を受け、ニューヨークへ帰った。記者たちの前で交通の激しい通…
- ドレスを作った女性が、生き物を調べる水槽を作ったジャンヌ・ヴィルプルー=パワーは、パリで裁縫や刺繍を手がけ、王族の婚礼衣装も制作した。シチリアへ移った後は海の生き物を…
- 贋作事件の後、偽物と明示して絵を売ったジョン・マイアットは1985年、名画の作風をまねた絵を、模倣品と分かる広告で売り始めた。だが買い手が本物として転売し、…
- 買い物カートを広めるため、使って見せる人を雇ったシルヴァン・ゴールドマンは1937年、米国オクラホマシティのスーパーに買い物カートを導入した。折り畳み椅子をヒントに、…
- 染物の仕事で得た知識が、身分証作りに役立ったアドルフォ・カミンスキーは若いころ、フランスの染物店で働き、色の化学に興味を持った。第二次大戦中、父の偽の身分証を探す…
- 見慣れない果物を売るため、キウイ料理の昼食を出したフリーダ・キャプランは1962年、米国でまだ見慣れないキウイの販売を始めた。最初は売れ行きが遅かった。料理人に食べ方を…
- 壁も扉もストーブも描いた家が、美術館に入ったカナダの画家モード・ルイスは、小さな家を制作場所にしていた。絵を描くのは板だけではない。壁、扉、パンの箱、ストーブにも…
- こっそり作った彫刻の庭が、取り壊しを免れたインドのネック・チャンドは、余暇に解体現場の廃材を集め、チャンディーガルの森で彫刻の庭を作った。割れた陶器やガラスなど…
- 海岸のごみを見かねた二人が、週末の掃除を始めた2015年10月、ムンバイの弁護士アフロズ・シャーと近所のハルバンシュ・マトゥールは、ベルソバ海岸の大量のごみを自分た…
- 犬の毛に付いた植物を調べて、面ファスナーを考えたスイスのジョルジュ・ド・メストラルは、犬と出かけた後、服や犬の毛にくっついたゴボウの実が気になった。顕微鏡で見ると、小…
- 料理家が、液体窒素でアイスを作る案を書いていた英国の料理家アグネス・マーシャルは、氷菓子を得意とし、料理学校や本、雑誌でも活動した。1901年には、液体窒素でアイス…
- 車で映画を見る実験は、木の間にシーツを張って始めた1930年代初め、米国のリチャード・ホリングスヘッドは自宅で車から映画を見る実験をした。スクリーンは木の間に張ったシー…
- 夫の未完成のノートから、夜の海の通信を作り上げた19世紀米国のマーサ・コストンは、亡き夫のノートに船の信号の案を見つけた。しかし、そのままでは使えない。化学者や花火の…
- タイの海辺で、10歳の少女が授業の映像を思い出した2004年、英国のティリー・スミスは家族旅行でタイのプーケットの海辺にいた。海の様子に異変を感じ、学校の地理で学んだ津…
- タバスコ事業の創業者は、自伝的な文章でソースに触れなかった19世紀の米国でエドマンド・マキルヘニーは、タバスコ・ブランドのソースを売り始めた。ところが晩年に書いた自伝的な短い文…
- 台所で考えた五角形が、数学団体の玄関の床になった米国のマージョリー・ライスは、雑誌の数学欄をきっかけに、五角形を隙間なく敷き詰める方法を研究した。台所のテーブルで図を…
- 65歳で退職させられた女性が、グレー・パンサーズを作った米国のマギー・クーンは1970年、65歳という年齢のために職場を退くことになった。その年、ほかの退職者たちと運動を始め…
- 人気女優の名前を、映画会社が公表しなかった初期の米国映画で人気を得た、カナダ出身のフローレンス・ローレンス。ファンは誰なのか知りたくて会社へ手紙を送ったが、バイ…
- 読み書きを入学条件にしない、太陽光設備の学校インドのバンカー・ロイが1972年に始めた活動は、ベアフット・カレッジとして知られる。村の人が設備を自分たちで保守する…
- 10歳で始めたドミノ動画が、映画の仕事にもつながった米国のドミノ作家リリー・ヘヴェシュは、10歳の2009年に動画チャンネルを作った。長く匿名で投稿し、2015年に自分の…
- 登る場所に合わせて、義足の高さまで変えた人米国の登山家ヒュー・ハーは、1982年の遭難後に両脚の膝下を失った。登山に戻るため自分で専用の義足を設計し、小さな岩の…
- 鉛筆を削って返す仕事に、証明書まで付けた人米国の漫画家デイヴィッド・リースは、2010年に手作業の鉛筆削りサービスを始めた。当時15ドルで鉛筆を削り、削りかすを…
- ずっと動くワイパーが気になって、休む仕組みを考えた米国の発明家ロバート・カーンズは、1963年の小雨の運転中にワイパーが動き続けるのを不快に感じたという。そこで人間の目…
- 19世紀のシャンプーは、髪を洗うだけの仕事ではなかったインド出身のディーン・マホメドは、1814年に英国ブライトンで蒸気浴とマッサージの店を開いた。そこでいうシャンプーイン…
- 平和のために歩き続け、4万キロを超えて距離を数えるのをやめた人米国のミルドレッド・リゼット・ノーマンは、1953年にピース・ピルグリムと名乗って歩く旅を始めた。人々と平和について語…
- 安く、おいしく作れる食事を、1890年の厨房で調べた米国のエレン・スワロー・リチャーズは、1890年にメアリー・ヒンマン・アベルとボストンのニューイングランド・キッチンを…
- 大統領宮殿より、花を育てる農場を選んだウルグアイのホセ・ムヒカは、大統領時代も妻の農場で暮らし、菊を育てて販売していた。大統領宮殿の利用を断り、1987年製…